鈑金屋は2度独立する

あんなこと言い放ったはいいけども、冷静になってからは、

「ディーラーからの入庫無くなってどうすんだよ〜」

と不安になってきます。

当時、2代目ステップワゴンの頃で、これが、あの、社外エアロ仕様も売れたもんだから、かなり忙しく、次から次へとその作業だったんです。

私はわりかし若いうち、26歳で独立して、この時は30くらいでまだ独身でした。なので、その部分では身軽だったというのもありますけど、それでもずっと入ってたディーラーからの仕事が一切なくなるとなるとかなりのダメージです。だんだん吐きそうなほどの孤独に襲われます。

モータースや中古車店、カスタムショップなどからもちょっとは入庫があったんですけども、このままじゃダメだと直需客獲得の必要性を感じました。

この時、2002年から2003年くらいのことです。

今思えば、なんであんなことしたんだろと思うような、新聞広告だったりポスティングなんかもやったりしました。ポスティングは、業者にチラシを作ってもらって、それを自分で手配りで個人宅のポストに入れていくというものです。

結構配りましたけど一件の問い合わせも来なかったですね。

で、ここで「もう紙はらちがあかん」とホームページの作成に取り掛かり出します。2003年当時は鈑金屋でホームページ持ってるところがまだまだ少なかったです。

今は無いですが、その頃はYahooでホームページのカテゴリ分けがあり、都道府県ごとの鈑金屋のカテゴリもあったんですけど、うちでホームページ作ったときには県内ではうち含めて6件しかありませんでした。

それで、他のホームページはあまり更新がされてなかったんですけども、うちは実際やっている作業を公開するかたちで更新していきました。

その頃って、インターネットでは、簡単なHTMLで作ったサイトに、画像と共にひょうげた言い回しでネタ文を綴るという『テキストサイト』が流行ってた頃で、面白かったのでそれらを参考にしてホームページを作りました。

画像と文章を交互に入れてくテキストサイトの形式は、作業を説明するにも合ってたんです。

で、作ったホームページにアクセス促すようにアドワーズ広告やりました。

検索ワード、たとえば「クルマ キズ修理」というワードを設定しとくと、そのワードで誰かが検索するとうちのホームページがトップに出て、クリックされると、そのワードワードで単価が違いますが、ワンクリック何円とかが掛かるんです。予算設定してそれが無くなるとそれ以上は表示されなくなるというものです。

そんなふうにやってたら、ちょこちょこホームページから入庫が来るようになってきて、その後、更新はブログに移行していきます。

ホームページで作業を公開していく中で気をつけようと思ってたことのひとつに「良く見せようとしない」というものがあります。いわゆる目を引くビフォーアフターはやめようと思ったんです。

壊れた状態から完成品を良く見せることが宣伝になると思いがちですが、自分はそうは思いませんでした。

とにかく、地味でも実際にやってる作業そのものを見てもらうようにしたんです。

なぜかというとそれは、あのディーラーとの一件があったからです。

あの営業マン、もちろんお客さんもでしょうけど、なんでたったあれだけのことで激怒したかというと、それはもう単純明快、理由はたった一言ですみます。

 

 

「知らないから」です。

 

社外エアロが完璧なものでは無いというのを、作業してれば知ってるんですが、売りたい人は完成品を良い写真使ってデザイン加工もするでしょう、とにかく『完成品』を良く見せて売ろうとします。だから作業途中は見せないんです。

それ見て買った方は、あの綺麗に撮影されたカタログの完成品のエアロが、気温変化で変形して浮いてくることなんてこれっぽっちも想像しないんですよ。素材も作る工程も見てないから。

だから、不具合がちょっと出ただけで激怒するんです。

怒るのは、知らないからなんです。

だから、そういうことを徹底的に説明しようと思ったんです。

そうやって、作業での失敗や問題点や不具合もブログで出し続けました。写真も改まって撮ったりしません。いいカメラなんか使っちゃダメだとすら思ってました、作業の合間合間の汚れた状態を安いデジカメでちゃっちゃか撮ってそれを出すのがリアルだからです。

でもって最初のホームページ更新時代の文章なんてひどいもんでした。当時、担当していた税理士さんに意見聞きたくてホームページ見せたら

「う」じゃなくて「お」じゃないですか?って真顔で言われて、「ん」ってなりました。

「このとおりです」を

「このとうりです」ってずっーと書いてたり。

「こうすると、こうなります」みたいな、そんな感じの一言二言を画像と共に綴ってました。文章書けなかったから。

今でも誤字脱字はありますけどね。それでも、不特定多数に何かを説明するに足る最低限の文章を書けるようになったのは、下手でも、知ってもらいたいという目的のための行動を続けたからです。

そして、その説明の仕方は、今のYouTubeにも反映されていると思います。

撮り方だったり編集の仕方だったり、説明もそう、それは「知ってほしい」という作業ブログをコツコツ続けてたからこそ出来ているものだと思うんです。

だんだんとYouTubeも登録者が増え、今朝の段階で8800人のチャンネル登録をいただいてます。そうやって、多くの人にみてもらえるようになってきましたが、ここにつながるきっかけとなったのは、元を辿れば18年前、あのディーラーとの一件だったのではないかというのを、むっちゃんの散歩中に思い出しこの話を書き始めたはいいけど、長くなって3日にわたってしまいました。

当時、鈑金屋は、直接お客さんに来てもらうような業種ではありませんでした。

あくまでも、ディーラーだったりモータースの下請けという形での存在でした。

「独立だ」って言っても結局は決まった元請けから言われるままにやらされる身です。それってほんとに独立なんだろうか。

鈑金屋はそこから、もう一度できる独立があります。

元請けを離れて直接お客さんに来てもらう工場になることです。

 

鈑金屋は2度独立します。今の時代ならそれが出来ます。