過去の自分

もともと近隣の友人にクルマ屋が多かったので、なにか困ったことがあれば助けてもらえるだろうと、そんな気持ちで独立したのが26歳のとき。あれから20有余年。友人にクルマ屋が多いゆえに助かったのもありますが、鈑金屋もいるので、逆に、お客さんがかぶらないようにということに気をつけてきました。

地元密着工場はまわりにたくさんあるから、近くじゃない人に来てもらおうと、16年前に自分でホームページを作り、アドワーズ広告を打って検索トップに出るようにしてました。それで当時売りにしていた格安全塗装をきっかけにして、県外からも入庫してもらえるようになりました。県外から来てもらえれば近隣の工場とお客さんの取り合いにはなりませんからね。

で、それでしばらくやっていくとこになるんですが、今度は、だんだんサイト上でも思うわけです。他のホームページとお客さんの取り合いはしたくないなって。

そうすると、だんだんやることが、他でやってないこと、になってくるんです。

今うちでやっている作業の多くは、同業者がやりたがらないものばかりです。手間ばかり掛かって回転が悪い。どうやってやっていいのかわからないからその都度工夫し実行しなければならない。ワンミスで損害が大きいリスクがある。

鈑金塗装業者として、ものを考えずに済むリスクの少ないおいしい仕事というのもあります。しかし、そこは誰かと取り合わなければなりません。そこには戦いがあります。対同業者の戦いです。私、そういう戦いとかいやなんですよ。ほんと無理なんです。戦いの場があったら逃げたくなっちゃうんです。で、実際逃げるんです。ただ、逃げたら逃げた先で布団かぶって丸まってるようなことはしません。逃げた先で、なにかをやってます。

そんな逃げの姿勢で営業してたら、客観的に見てもまわりの工場とお客さん(ニーズという意味での)がかぶることがない個性的な工場になってましたし、Googleで検索すると普通は鈑金屋は「車体整備店」なんですが、うちは「自動車修復業」という鈑金屋からはじかれたカテゴリーにされてます。Googleもここは普通の鈑金塗装屋じゃないと認識したようです。

おかげさまで、困ったときにまわりに助けてもらえるという甘えた動機の独立当初から、同業者がやりたがらない困った仕事ばかりをやってきたため、困ったことがあっても、なんとかできる自分が出来上がってきました。

で、今日の仕事も困ったことがあって、NBロードスターのボディサイド、ここに塗布されてる耐チッピングのアンダーコートが粒の目が大きくて、これが再現できない。材料が無いんです。昔は目の大きいチッピング吹ける材料と専用のガンがあったんですが、今は無くてですね、さあ困った。材料屋にあらためて聞いても、昔はあったけど今は無いと言われて終わり。「今ってみんなどうやってんだろ」って聞いても、「いやいや、今、他ではやってないから」で話終わり。しょうがないから検索するでしょ。Z32のドア下なんかもやっぱり目の大きいチッピングだから、「Z32  ドア下 チッピング」そのあたりのキーワードで。

お、出た出た、ん?

 

そこで出てきたの、唯一そのことについて語ってるの、

 

 

過去記事の自分でした。